今回のブログでは医学用語として頻繁に使われる “invasive” という単語の訳出について考えてみようと思います。
“invasive” の本来の意味は、「侵入する、侵略的な、侵害する、出すぎた、立ち入った」、などといった意味を持つ形容詞です。しかし、医学の領域では少々異なるニュアンスを持ちます。医学用語としての “invasive” には「〈検査・治療などが〉侵襲性の、健康な組織を侵す」などの意味があります。(リーダーズ英和辞典)
新英和中辞典では、「癌が浸潤性の、侵襲性の」のように、浸潤と侵襲の両方の意味を持つと解釈されています。また、研究社医学英和辞典では「健康な組織を侵す、侵襲性の、浸潤性の(癌細胞)、診断法については侵襲性の(皮膚の穿刺や器具の挿入を含む)」と定義されています。
Oxford Dictionary によれば、
1 (especially of diseases within the body) spreading very quickly and difficult to stop
● invasive cancer
2 (of medical treatment) involving cutting into the body
● invasive surgery
■opposite non-invasive ⇒see also invade
と定義されています。
それでは、どちらの訳出が適切なのでしょうか?
“invasive” がどのような文脈で使用されているかにより、訳語を選ぶ必要がありそうです。具体的な例として、いくつかの文書から “invasive” の使用例を取り上げてみましょう。
次の文章は、Breastcancer.orgから引用したものです:
What is invasive ductal carcinoma?
Invasive ductal carcinoma (IDC), also called infiltrating ductal carcinoma, is the most common type of breast cancer. About 75% of all breast cancers are IDC, according to the American Cancer Society.
Invasive means the cancer has spread into surrounding breast tissues. Ductal means the cancer started in the milk ducts, the tubes that carry milk from the lobules to the nipple. Carcinoma refers to any cancer that begins in the skin or other tissues that cover internal organs, such as breast tissue. The American Cancer Society estimates about 287,850 new cases of invasive breast cancer to be diagnosed in women in 2022, most of which are expected to be IDC.
引用元:Breastcancer.org
【訳例】侵襲性乳管癌(Invasive ductal carcinoma, IDC)とは何ですか?
侵襲性乳管癌(IDC)、別名浸潤性乳管癌、は最も一般的なタイプの乳がんです。American Cancer Societyによれば、全ての乳がんのうち約75%がIDCです。
ここでの “invasive” は、癌が周囲の乳腺組織に広がったことを意味します。 “ductal” は、癌が乳管、つまり乳腺小葉から乳頭へと乳汁を運ぶ管で始まったことを示します。 “carcinoma” は、乳腺組織のような皮膚や他の器官を覆うその他の組織で始まるあらゆる種類のがんを指します。American Cancer Societyは、2022年に女性で約287,850件の新たな侵襲性乳がんが診断されると予測しています。そのほとんどはIDCであると予想されています。
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この文脈では、”invasive” は「癌が周囲の乳腺組織に広がったこと」を表しており、この意味は「侵襲性」を意味する日本語の表現に一致します。また、 “infiltrating” は通常「浸潤」と訳されるため、同じ癌に対して “invasive” と “infiltrating” が使われていることから、この場合は “invasive” を「侵襲性」と訳すのが適切ではないかと思われます。
National Cancer Institute によるinvasive cancerの定義も見つけました。
引用:
Cancer that has spread beyond the layer of tissue in which it developed and is growing into surrounding, healthy tissues. Also called infiltrating cancer.
引用元:National Cancer Institute
【訳例】発生した組織の層を越えて広がり、周囲の健康な組織に成長しているがん。別名、浸潤性がんとも呼ばれます。
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この定義によれば、”invasive” は「発生した組織の層を越えて広がり、周囲の健康な組織に成長している」ことを意味します。また、“infiltrating cancer(浸潤性がん)”とも呼ばれると定義しているため、ここでも “invasive” と “infiltrating” が同義語として使われていることがわかります。
American Cancer Societyは以下のように、大腸がんに関する内容におけるinvasiveとinfilteringの意味を以下のように定義しているようです。
引用:
What do the words invasive or infiltrating mean?
As colon cancer grows and spreads beyond the inner lining of the colon (mucosa), it is called invasive (or infiltrating) adenocarcinoma. Cancers that are invasive are called true cancers because they can spread to other places in the body.
引用元:American Cancer Society
【訳例】”invasive”または”infiltrating”という言葉は何を意味するのでしょうか?
大腸癌が成長し、大腸の内膜(粘膜)を超えて広がると、それは侵襲性(または浸潤性)腺癌と呼ばれます。侵襲性の癌は真の癌と呼ばれます、なぜならそれらは体の他の場所に広がる可能性があるからです。
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この説明から、”invasive” と “infiltrating” の両方が「癌が原発した組織を超えて周囲の組織に広がる」ことを意味しており、大腸癌の場合には、これらの用語は交換可能であると解釈できます。
Wikipediaで「侵襲」と「浸潤」を調べてみました。
引用:
侵襲とは、「病気」「怪我」だけでなく「手術」「医療処置」のような「生体を傷つけること」全てを指す。なぜなら、病態であれその治療であれ、侵襲に対する生体の反応は同じであり、それを知らずして(侵襲を以て)人を治療することはできないからである。
英語では、形容詞の「invasive」として使われるケースが多い。その対義語の 「non-invasive」は「非侵襲」という。
引用元:Wilipedia
「浸潤」
引用:
がん細胞が周囲の正常細胞や組織を壊しながら移動すること[4]。がん細胞は、遺伝子の変異により増殖能を獲得し異型性を示し、局所で限局的に増殖していきながら、浸潤能を獲得する。この時、コラーゲンなどの細胞外基質成分を分解する酵素を分泌して正常な組織構築を壊し、そこを足がかりにして自らを牽引するように移動する。その際、がん細胞は個別に動くこともあれば、集団で動くこともある。浸潤した後、リンパ管内に入るとリンパ節転移を引き起こし、血管の中に入ると他臓器に「血行性の転移」を起こす。上皮内がんの状態では、がん細胞がまだ上皮細胞層と結合組織の間の基底膜を越えていないが、がん細胞が基底膜を越え、上皮下の結合組織である間質に進展することを「浸潤」と呼ぶ。浸潤が認められると、原発巣から離れた組織や臓器で非連続性の腫瘍を形成する転移の可能性が高くなる[5][4]。胃がんが浸潤して胃の最外層の膜をも破壊すると、がん細胞は腹腔内にこぼれ落ち、各所に転移巣を作ることがある。浸潤は正常組織を壊す以外に転移の原動力になる[4]。
引用元:Wikipedia
以上のことから、「侵襲性」は、がん細胞の広がりに関しても訳としてあてはまるが、特に身体への物理的な介入や侵入、例えば手術やその他の医療処置によって引き起こされる可能性がある事象を説明する際に用いられるのではないか、一方、「浸潤性」と訳されるのはがん細胞のようなものが周囲の組織へゆっくりと広がる事象を説明する際に用いられ、その様子を詳述したいような文脈で使われるのではないかと考えました。”invasive” の訳出は、文脈や訳すべき内容により注意が必要だと実感しました。
以上、医学翻訳における “invasive” の訳出についての考察でした。
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